急逝、松本勝也選手逝く

はじめに

先日、尼崎競艇場の「第63回近畿地区選手権競走」4日目の9Rで6号艇で出場した松本勝也選手がお亡くなりになりました。

こういう事を記事にしていいのか私自身すごく悩みましたが、今後の競艇の記録となりますし、競艇の選手とは常に死と隣り合わせでレースを行なっている事を皆さんに理解してほしく、書く事を決めました。

事故の概要

事故の概要は2020年2月9日、尼崎競艇場の9Rで起こりました。

松本選手は6号艇で出場、中団で航走していた松本選手が1周2マークで、バランスを崩して転覆そこに後続艇がつこむ形になり、松本選手は負傷し、そのまま西宮市内の病院に搬送されましたが、帰らぬ人になってしまいました。
死因は現在調査中です。

競艇とは

松本選手が亡くなった競艇とはどのような競技なのか、今一度ご説明いたく思います。

競艇とは6艇のボートが出場し、水上のコースを3周、1周600メートルのコースを3周するレースになります。

なぜ今回の様な事故が起こったかというと、競艇は1周の中にコーナーが2つあり、そのコーナーで激しい競り合いがあったりします。

そこでバランスを崩して転覆する艇が普段のレースでも結構あります。

ただ普通の転覆なら特に問題ないのですが、そこに後続艇がつこんだりする事があるのです。ボートにはプロペラもついているので、プロペラで怪我を負ったり、つっこんだ艇で怪我をしたり、亡くなられた方もおられます。

近畿地区選手権競走

競艇は競馬のように、1レースで終わりというものでは無く、4日〜7日ほどで1節として行われます。

予選を2日〜5日で予選を行い、得点上位18人で準優勝を行い、準優勝線上位2名づつが優勝戦に勝ち上がるというのが大まかな流れになっていますが、今回亡くなったレースは近畿地区選手権という地区戦で、同じ支部の選手や、関わりが深い選手が何人も出場されておりました。

そういった選手の前で、昨日まで普通に話していた人がいきなり亡くなられたので、選手はものすごく悲しいと思います。

松本勝也選手の軌跡

松本勝也選手は1971年9月1日兵庫県生まれ、68期でボートレーサーとして、兵庫支部で1991年5月に尼崎競艇場でデビューしました。

同期には山一鉄也選手や高橋勲選手などがおられます。

同支部には、吉川元浩選手や、魚谷智之選手がおられます。
松本選手は今年のお亡くなりになる2月9日まで連続49期A1レーサーとして、SG優出2回、G1優出21回と輝かしい成績を残されて選手間の間では非常に穏やかで優しい兄貴的な選手として皆さんに親しまれていました。

レーサー達の殉職

ボートレーサーという職業は一般の方からするとなかなか馴染みのない職業ですし、ギャンブルの一環みたいな見方をされている方もおられるのも事実だと思います。

水上の格闘技と言われる様に選手達は日々厳しいレースを勝ち上がり賞金を獲得し、生活をしています。

レースに出ないとお給料は貰えません。
松本選手が亡くなった翌日も選手達は同じレース場で昨日と全く変わらないレースを行わないといけないのです。

勿論選手達の感情は尋常では無いと思います。
でも戦わないといけないのです。
それがボートレーサーという職業なのです。

これまで、競艇では31人ものレーサー達が水面で亡くなってきました。
現役レーサーの佐々木裕美選手の元旦那さんの坂谷真史選手も住之江競艇で事故で亡くなっていますが、佐々木裕美選手は現役で選手として走っています。

今後はこの様な事故がなくなる様に、ボートレースファンとして切に願うばかりです。

最後に

私自身もいつも関わってる競艇で人が亡くなる事があるのは分かっていましたし、でも人が亡くなるのは非常に悲しいですし、松本勝也選手は知ってましたが、そこまで深くは知りませんでした。

調べると選手達に愛されたレーサーなんだなと思いました。
惜しい人が亡くなってしまった事に、非常に複雑な気持ちになりました。

今後はこの様な事故が1件でも減るようになってほしいです。松本勝也選手心からご冥福をお祈りいたします。

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